『《落とし羽》の反応は近い。回収を急げ、《羽根狩り》』
「──了解」
月暈の冴える淡い宵闇を、黒き獣が駆け抜ける。
《羽根狩り》と通信手に呼ばれたその獣は、身に纏う黒衣を夜風にはためかせ、ビルからビルへと一足で飛び移ってゆく。
ヘッドライトとネオンの輝く雑多な街の喧騒は、人々から夜空を見上げることなど忘れさせた。故に、人間が異様な身のこなしで摩天楼の合間を舞うなど想像の埒外のことである。仮に目にしたところで、甘い都会へ紛れ込んだ蝙蝠の一匹ぐらいにしか思うまい。
「こちら《羽根狩り》。《落とし羽》を発見した」
『至急回収し、帰投しろ。周囲に敵影はない』
どこかの大型ビルのヘリポートで、それは不自然に存在していた。
大型の鳥類から抜け落ちた黒い風切り羽。見た目だけならば素直にそう喩えられる。しかし、その羽根は独りでに淡く発光しており、何よりその場でふわりと浮かんでいた。
屋上は全面消灯されており、月光以外の光源はなく、吹き荒ぶビル風は羽根の一枚など軽く流してしまうにも拘わらずだ。
多少知恵の回る者ならば、この羽根が異様なモノであることをすぐに察する。この世に在りながら、しかしどこか全てを隔絶したかのような、ただ羽根の形を取っているだけの何か。
《羽根狩り》の役目は、文字通りこの羽根──《濡羽の聖女》の《落とし羽》を回収することにある。
静かに、《羽根狩り》はそれへと近付く。ごうごうと耳に煩わしい風の音が、どういうわけか羽根へ近付くほどに消え去ってゆく。音が、この羽根に吸い込まれているのか。
手を伸ばしたその時──月暈が、一際冴えた。
「ッ!」
瞬間的に踵へ力を込め、大きく後方へと跳ぶ。地を蹴る衝撃でコンクリートが爆ぜた。
同時、数瞬前まで《羽根狩り》が在った地点に、幾つもの刃が突き刺さる。刃は月光を受けて煌々と輝き、薄靄を放つ。これらは金属で出来たものではない。氷で作られたものだ。
殺気を針と称するならば、《羽根狩り》の全身は今まさに滅多刺しとなっている。この氷刃を放ったのがどこの誰なのか、《羽根狩り》はとっくに周知していた。
「敵影はない、か。冗談のつもりだったのか?」
『……訂正しよう。たった今こちらも捕捉した。《組織》の《白魔》だな?』
「ああ。いつものだ──通信を切る」
インカムの電源を落とす《羽根狩り》だが、目線だけは一箇所に固定している。
長い銀髪が、荒れる風で意思を持ったかのように靡く。
ビルの縁に立ち、月を背にしてこちらを見据える赤い双眸──《白魔》。
自分達《志々馬機関》と敵対する《組織》の一員にして、《組織》が抱える最強の異能力者。
「《羽根狩り》──……ここで退くのなら、見逃してあげる」
涼やかな声音だった。それもそうだろう、《組織》の白を基調とした戦衣に身を包む《白魔》だが、その見た目は《羽根狩り》よりも歳下の少女である。
そして、《羽根狩り》と《白魔》は、何もこれが初顔合わせというわけではない。《落とし羽》を巡る抗争の中で、幾度となく交戦経験があった。
「それでおれが退くと思うのなら、知能が皆無に等しいな」
「格下相手に情けを掛けてあげていることに気付かないの?」
面罵し合うのは、別段口喧嘩したいわけではない。互いの出方を探っているだけだ。
しかし、格下と見られたことに《羽根狩り》は内心少し苛立つ。
事実ではある。《白魔》は《濡羽の聖女》より異能力──《祝福》──を授けられた、自分達が呼ぶ所の異能力者、通称《痣持ち》である。一方で、《羽根狩り》にはそれがない。
即ち、《祝福》を持たない、ただの人間。対するは、氷雪を自在に操る異能力者。
およそ真正面からやり合って勝てる相手ではないが、《羽根狩り》は口角を吊り上げた。
「あまりの温情に涙が出そうだ。《痣持ち》様は随分と傲慢らしい」
「……《機関》のその呼び方、好きじゃない。わたし達は《祝福者》よ」
「意味は同じ──だッ」
《白魔》が苦々しげに訂正するのを見るや否や、《羽根狩り》は腰部右側部に装着したガンホルスターより、銃を抜き放つと同時に発砲する。
狙い過たず、確実に《白魔》の急所を撃ち抜くはずの弾丸は、だが銃声が響いた時には既に、空薬莢よりも速く地面へと転がっていた。
(飛礫による自動迎撃──)
《白魔》が目で見て弾丸を撃ち落としたわけではない。ただ、彼女に迫る脅威を、その異能が自動で認識し、銃弾と同程度の形状・硬度の氷飛礫を撃ち出して迎撃したのだ。
「相変わらず、対話の出来ない人ね。まあ、構わないけれど」
溜め息交じりに《白魔》も己の腰部に手を伸ばす。ゆったりとした所作に反し、攻め入る隙はない。そうして、すらりと伸びる白刃を構えた。
彼女の腰に提げられている得物は、日本刀。銃を持つ《羽根狩り》とは対照的だった。
「どうせ、最後に立っている方が《落とし羽》を手にするだけだから──」
地を蹴り、宙に舞う《白魔》は、空を滑る。比喩表現ではない。宙空に作り出した氷のレーンに導かれるようにして、常人では一切再現不可能な軌道を以て《羽根狩り》に迫る。
天より雨粒が一滴落ちるかの如く、《白魔》の振るう一刀は静かだった。
──異能力、《祝福》。それを持つ者に共通する特徴の一つとして、『身体のどこかに羽根のような痣が現れる』、というものがある。
《志々馬機関》の者はこれを以て異能力者を《痣持ち》と呼んだ。
他方、《組織》の者はこれを以て異能力者を《祝福者》と呼んだ。
「……! 腕の一本ぐらいは持っていけたと思ったのに」
《白魔》が瞠目する。己の一刀を、この《羽根狩り》は最小限の動きで躱した。
「一発ぐらいは当たれ、畜生」
《羽根狩り》は歯嚙みする。至近距離で放った銃弾ですら全て撃ち落とされている。
共通する特徴ではなく認識として、《祝福》を持つ者は持たざる者に比して、その戦闘力に三倍の開きがある、とされる。《祝福》持ちを相手にするならば、無能力者は最低でも三人居なければ話にならない。無論、無能力者側に十全な準備と装備を前提とした上で、だ。
故にこそ、《羽根狩り》とは──《落とし羽》を拾い集める為に付いた名、ではない。
「あなたが現れる度に、わたしも出なくちゃならないのって、本当に面倒」
「同感だ。お前が動けば、都度おれも出張ることになる。嫌気が差す円環だな」
単独で《痣持ち》を撃破可能な無能力者。
《白魔》が《組織》の抱える最強の異能力者とするならば、彼は《志々馬機関》が擁する最強の無能力者──即ち、異能力者狩りである。
《白魔》を止められるのは《羽根狩り》だけ。
《羽根狩り》を止められるのもまた、《白魔》だけ。
「じゃあ素直に斬られてくれる? そうすれば二度と会わなくて済むから」
「二度同じことを言わせるなよ。それでおれが斬られると思うか、間抜け」
両者は同時に距離を取る。単純な力量差は《祝福》を持つ《白魔》が上だが、技量と経験と装備では《羽根狩り》に分がある。ここから先、戦局がどう転び、そしてどちらが《落とし羽》を持ち帰るのかは、当人達にも分からない。
ただ一つ、はっきりしているのは──
「……大っ嫌い!」
「奇遇だな。おれもだ」
──二人の交戦は偶然ではなく。
そしてこの《落とし羽》を巡る闘争が在る限り、永劫に続くであろうということ──